カントの倫理学(関連星座:野槌、戦車)
カントっていう人の哲学は膨大な量があり、その理解は一筋縄では行かないんですが、その業績の中でも倫理に関する仕事は代表的なものの一つとみなされています。
カント倫理学の根本は、実は単純なことで
”あることが道徳的に善であるとされるためには、それが道徳法則に適合しているだけでは充分でない。それは道徳法則のためになされるのでなければならない。”ということです。要するに動機が”善い事をしたい”っていうものでないと善ではない、ってカントは言っているんですよ。
で、まあちょっと前までこれを馬鹿馬鹿しいと僕は思っていたんですが、最近考えが変わりました。上のテーゼはこういう風に言いかえられるんですよね。
”あることが道徳的に悪であるとされるためには、それが悪徳法則に適合しているだけでは充分でない。それは悪徳法則のためになされるのでなければならない。”。わかります?、悪いことをしたいから悪いことをするっていうのでなければ悪ではない、ってことになるんですよね、裏返せば。
もちろん、こんなのはカントの意図のはるか外ですが、このテーゼで行く限り善も悪もそんなものはほとんどない、ってなりますよね。そういうのが僕はなぜかたまらなく好きなのですよ。