テンプレート考察3 No.10 「吟遊詩人



   さて、このシリーズの第3回は吟遊詩人です。このテンプレートは第1回の少年や、第2回の夢占い師と違い深淵独自のテンプレートという訳では有りません。ですので一般的な吟遊詩人のロールプレイについては富士見書房のキャラクターコレクションや新起源社のプレイヤーズガイド、マクロス7や宇宙船サジタリウス(笑)でも参照してもらうとして、この項では深淵らしい吟遊詩人ということに限定し論じたいと思います。

 さて、深淵らしい吟遊詩人のありかたということについてですが、それを考えるにはまず深淵らしさとはどのようなものか?ということについて考えねばなりません。ごく単純に言うなら深淵というゲームで扱われるのは、運命がもたらす人々の葛藤のドラマであり、深淵というゲームのルールはすべてそのために作られています。
 ならば、深淵らしい吟遊詩人とは?という問いは、深淵のうみだすドラマにおいて吟遊詩人がどういう役割をはたせるか?という問いに言いかえることが出来ます。そして、そう考えた場合言うまでもなく吟遊詩人の役割とは物語を記録し、伝えるということであります。
 前に夢占い師はサブマスター的なテンプレートである、と書いたことがありますが、ある意味吟遊詩人は夢占い師以上にサブマスター的なテンプレートです。吟遊詩人は表舞台には出ませんし、出てはいけません(ここが夢占い師と異なるところです、行動する吟遊詩人はそれ自体すでに吟遊詩人ではありえないのです)。なぜなら吟遊詩人とは物語という手段を用いて他のPCに何かを伝える存在であるからです。運命のもたらす葛藤の中にいる人は、自分の先達が辿った道のりのドラマを吟遊詩人から聞き、何かを得るかもしれませんし、得ないかもしれません。夢占い師と同じように他のPCを援助する存在でありながら、吟遊詩人のもたらすのは価値判断では有りません、抽象的な寓話なのです。

 良く考えればわかる通り、吟遊詩人というのはたぶん最も難しいたぐいのテンプレートです。本格的な吟遊詩人をロールプレイしようとするならば、少なくともプレイヤーとして経験したセッションを物語として即興で今のセッションの状況にアレンジして語れる能力が最低限要求されます(もしできるなら、そのテーブルにいる他のプレイヤーと共有したことのあるドラマなら素晴らしいです)。自分で言っていてこれはかなり厳しい要求であると思います。
 そこで、もしあなたが吟遊詩人というテンプレートをやってみたいなら、まずは吟遊詩人としての修行の過程をロールプレイするというのはどうでしょうか?これならばやれないことはないでしょう。私の私見を言わせてもらうならば、一人前の吟遊詩人になるために達成しなければならないイニシエーションは、おそらく自分のやっていること、すなわち物語を歌いあげることの強さと無力さを知ることであるとおもいます。私がよく使う手は、冬の予感とか病魔、王者の相といった生きていくのがいやになりそうなたぐいの運命を持ったNPCを出して、そのNPCの死に際に"きれいな歌を歌ってくれてありがとう"という台詞を言わせ、吟遊詩人のPCに敗北の宣告をたたきつけるという筋です(ここで書いてしまったから私はもうこの筋は使えませんね、やれやれ)。このNPCは吟遊詩人の歌に感謝をしたものの、この人物が生きる上での助けは吟遊詩人の歌は何一つもたらさなかったのです。

 さて、だいたい上記で私の言いたいことはすべて言い終えたのですが、少しだけつけ加えることが有ります。深淵の世界においては神話的存在として12と一つの神々というのがあります、この中に八弦琴という吟遊詩人の神にして、まったく魔力を持たない無為の神が存在します。中心に無為の神が存在するという中空構造は日本神話との類似性を感じさせますが、まあそれはまたいずれ論じるとして今はおいておきます。
 さて、もう私の論を読んだ人はなぜ八弦琴に魔力がないのかわかるのではないでしょうか?私の推論では八弦琴に魔力がないのは、八弦琴の魔法とは物語そのものであるからです。物語の持つ人を感動させ、何かを伝える力それが八弦琴の魔力なのです(神の模倣としての魔力ではないので刻印も呪文も代償もいらないわけです)。八弦琴の神とは狭義には吟遊詩人そのものであるし、あえていうならば八弦琴の神とはゲームマスターとプレイヤー(デザイナーと言うほど僕はお人好しではありません)に他なりません。