プロのマスターに見るゲームマスタリング



私は過去、JGCやゲームズ(旧軽井沢コンベンション)で何度かいわゆるプロのゲームマスターの方々のマスターを拝見したり、実際にゲームを行ったことがある。具体名を出すなら朱鷺田裕介、井上純弐、渡辺ヒロシのお三方である。特に朱鷺田氏のマスターは、プレイヤーで1回、拝見させていただいたことは3回ある。
 その体験の中で得た感想であるが、プロのゲームマスター達にはある傾向が存在するようなのだ、しかもそれはいわゆる巷のコンベンションで人気のあるゲームマスターとは全く違うタイプの特性なのである。
 まず、最初に言っておくと、プロのゲームマスター達は決してプレイヤーを楽しませる技術に長けているわけではない。実際のところ、プレイヤーを楽しませる技術であればそこらのコンベンションに僕が出会ったプロ達以上の技術の持ち主は結構いるし、正直私でも太刀打ちできる技術である。
 というよりも、プロ達は「プレイヤーを楽しませようとは思っていない」ふしがある。
 では、プロがゲームマスターが下手か?というと、決してそうではない。少なくとも先の3名は僕の知っている多数のゲームマスターの中で飛びぬけた存在である。
 では、プロのゲームマスタリングの何がすばらしいのか?というと、「なにもせず、じっとプレイヤーの対応を信じ、待つ」技術に長けているのである。
 まず、基本的に彼らのマスタリングは口かずが少ない、特に渡辺氏はその傾向が強かった。彼らのマスタリングにはほとんど誘導というものが存在しない。彼らは状況描写を適切に行い、プレイヤーがリラックスしてゲームに溶け込める雰囲気を作り出すことに全力をあげる。そしてじっとプレイヤーが全力を出しゲームを盛り上げる瞬間を待ちうけ、それに答えることに全てを賭ける。
 つまるところ、プロのゲームマスターが長けているのは「楽しませる技術」ではない、考えて見ればこれは当たり前のことで「楽しむ−楽しませる」という関係はきわめて不自然な形態であり、いわば水商売のホストがお客に対して行うようなものであり、健全な関係ではありえない。私もうすうす感じていたことであるが、プレイヤーを「楽しませよう」という考えはある意味傲慢なナルシズムでしかないのだろう。プロのゲームマスターが長けているのは「ともに楽しむ」技術なのである。
 私がプロのゲームマスターから得たことを一言で言うとこういうことだ、「ゲームマスターは他に何をやってもよいが、唯一プレイヤーを楽しませようとだけは思ってはならない」