プレイヤーに求められるもの



 ゲームマスターとプレイヤーのどちらが楽か?と問われたら、たいていの人は後者だと答えるでしょう。これはある面たしかに真実であるものの、つきつめて考えるとなかなか難しい問いである事がわかります。私個人の意見では、多分差はないと思います。
 たしかに、ゲームマスターはシナリオを提供するといういちばんわかりやすい形でゲームに参加します(もちろんシナリオ提供がマスターのやる事の全てではありませんが)。しかしながら、プレイヤーがマスターの努力に応える事が出来るかどうかがそのセッションの良否を左右するのであり、ゲームマスターはプレイヤーを信頼するという形でしかその部分に関われないとすると、プレイヤーがなさねばならない事と言うのはなかなか難しいこととなります。プレイヤーが操るPCがどう活躍したか?がTRPGの面白さの本質である以上(マスターの一人語りはTRPGとは呼びません、それは朗読と言います)、むしろプレイヤーのほうがマスターより難しい、とすら言えるかもしれません。

 さてプレイヤーもなかなか奥が深いというのはわかってもらえたでしょう。ゲームマスターの技術論というのは過去幾度も論じられてきましたが、プレイヤーの技術論と言うのはそれに比べはるかに少ないのは不思議な事です。この小論はその矛盾の是正を意図して書かれたものです。

 端的にいってプレイヤーの技術と言うのは・正確に把握する事・適切に対処することの2点であるといえます。とりあえず前者についてまずまとめてみましょう。

 まず最初にルールの把握ということがあります。一般的にはゲームマスターがプレイヤーのルール理解を助けなければいけない、という暗黙の了解があるようですが、そんな馬鹿な話はありません。初心者のころならいざしらず、すくなくとも行うゲームがわかっているのならば、ルールの理解に努めようというのはプレイヤーの義務です。第1ゲームマスターがルール説明に割く労力をセッションの他の部分に投入してくれたら、セッションはより面白いものになると思いませんか?(もちろんルール把握に関してマスターが何もしなくていいと言う訳では有りませんが、その部分に関してはここでは触れません)。ルールの把握にはちょっとしたコツが有り、慣れないと難しいのは事実ですが、頑張って努力してください、ここが全てのスタート地点なのですから(コツについてはいずれ書きたいと思ってます)。ちなみに世界観についての理解もこの部類に含まれます。

 次に、ゲームマスターおよび他のプレイヤーの状態把握という事が挙げられます。この部分で行わねばならないのは以下の3つです。
 1つは力量を把握する、ということです。ルールについてわからないときに誰に質問できるのか、彼のPCに自分のPCの援護を期待していいのか?、はたまたルール面での説明補助を行わねばならないのか、セッションの流れについていけず苦労していないか?、こういう点に注意し適切に状況を把握するのは円滑なセッションをもたらす基本です。
 2つめは、ゲームマスターがなにをセッションに提供しようと意図しているのか?他のプレイヤーがセッションでどんな事をやろうとしているのかを把握するということです。自分のPCを動かす上で他の人の意図の把握がうまくいかないと、セッションがチグハグになってしまいます。
 3つめは、他の人の状況を把握しておく、ということです。参加できないプレイヤーに対するフォローは従来ゲームマスターに求められてきた事ですが、どちらかというとプレイヤーのほうがそれは行いやすいでしょう。第一ゲームうんぬんは置いておくとして、他のプレイヤーがトイレに行きたがっているという事に気を使うのは、プレイヤーであろうがゲームマスターであろうがどっちでもいいことです。

 他人のPCだけでなく、自分のPCを理解しようとすることは、もちろん重要な事です。PCを理解しようと言うときにどんな点に注目すべきなのかということについては、本当のところどのゲームを使用するのかによって異なるので、一般論的な事を書くのは実は不可能なのですが、まあそこのところは適当にアレンジしてください。
 さて、PCを理解するにあたっては4つの視点から考える事が必要であろうと思われます。1つはセッション中のストーリーにおいてこのPCが何をしなければならないのか?ということです。例えば自分の役割が白兵戦担当であるのか後方支援であるのかといったレベルから、脇役であるのか主役であるのか、誰かにとって敵なのか味方なのか、誰かを守らなければならないのか殺さねばならないのか、といったセッション中行う事に対する見通しです。これは行っているゲームによって異なるでしょうから、詳しくは論じません。
 2つめはPCが現在どういう事を目的に今を生きているかと言う事です。何を人生の目的にしているのか?今どういう事について悩んでいるのか?というシナリオの目的とは別なキャラクターの個人的な目的に対する理解というのはロールプレイという事の根幹であります。シナリオとは別に誰かを敵として狙っている、王を目指している、ある宗派に命を捧げている、故郷に錦を飾りたいといった個人的な目的はシナリオに奥行きを持たせ、キャラクターのロールプレイに深みを持たせます。
 3つめはPCが本当は何を望んでいるのかということです。復讐に心を奪われているPCは、心の奥では復讐への思いから開放され平和な生活を送りたいと望んでいるのかもしれません。ある宗派にのめりこんでいるPCは、その宗派にしか居場所がないのかもしれません。そういう部分、つまりキャラクターの無意識の把握は、PCにリアルさを提供します。もちろん、こんな事を考えないほうがいいゲーム、もっと単純にPCを扱ったほうが良いゲームというのは厳然と存在します。その辺はちゃんとルールブックを読めばわかるでしょう。
 4つめは上の1〜3を踏まえた上で、プレイヤーがこのPCをどう扱うつもりなのか?というプレイヤー自身の見通しに関することです。自分の意志決定が一番重要なのは言うまでも有りませんね。

 まあ、以上のような事を把握するように意識しつつ、私はプレイヤーを行っているわけです。もちろん私自身、上記を全部完璧に行えている、などということをいうほどの自信家ではないのは言うまでも有りませんが、まあ参考になれば幸いです。

 ただし、本当に重要なのは把握した事にどう対処するのかということです。しかし、それこそ何も書けない部分です、これは。扱うゲームによって全く方法論が違うからです。一つだけいえるのは、ルールブックにどうやってプレイヤーの技術に研鑚をつむかという事が記述されていないゲームは駄作だ、ということです。ルールブックをなめるように読んでください。それに「把握」ということの後にくる「対処」についてそのゲームにおける本質が書いてあるはずです。(ただ、一般論として書ける部分がないわけではないのも事実ですので、いつか気が向いたら何か書くかもしれません)