深淵における魔法についての考察



 深淵ほど魔法使いがやりにくいゲームはないというのは、私の友人O氏がよく言う事です。まあ、私にしても彼の言に全面賛成はしないものの、その主張に納得できる部分は有ります。
 深淵の魔法の場合、「その力の源が何か?」が世界設定と密接に関わってくるとうかがわせる記述がルールブックに多数見うけられるにも関わらず、それを明確にすることを避けています(理由がわからないでもないですが)。それゆえに魔法使いを演じる事が難しく、最悪の場合ソードワールド・スレイヤーズ的なお気楽魔法使いが跳梁する事態を招きかねません。これはゆゆしき事態であるといえます。

 深淵のルールにおいては魔法を使える条件として、「1・刻印・2護符3・魔法陣のいずれか」を魔力とし、「呪文」を唱え、「代償」としてダメージを受けること、の3つが挙げられています。私はこの刻印というのが魔法使いを理解する上での鍵であると考えています。
 まず、深淵の小説である「丘の上の貴婦人」(注1)には、魔法は神々を模倣することでその力を行使するものである、という記述が有ります。だとするならば刻印や護符は模倣の手段であるということが言えます。
 さて、では刻印とはいかなる方法によって人に与えられるのでしょうか?ルールブックを読む限りでは、魔族に刻まれるケース以外の記述がありません。しかし、魔族が刻印をもたらす唯一のものではありえないというのは、ルールブックの他の部分の記述からも明らかです。
 魔族は何故刻印をもたらす事が可能なのでしょうか?おそらくそれは魔族と遭遇した結果彼らに影響を受け、心に残った傷として、刻印が与えられるのだと思います(影響値攻撃に似ていますね)。そして、何故この刻印が魔法をもたらすのかといえば、魔族の心性と神々のそれが似ており、それゆえに力をもたらすのでしょう。
 つまり、神々が象徴するある心性との近しさがPCに魔力をもたらすのであり、PCの過去にあったそのような心の有りようを持つにいたった事件、そしてその結果生じた心の傷の象徴が「刻印」であるのだとおもいます。
 この文脈で魔法を理解するならば、護符という存在に対する解釈も容易になります。たとえばナースキャップの戴帽式に端的に象徴されるように、ある種の物品はそれを身につけた所有者に対し、強力に心のあり様を規定します。また制服というのはそれを身につけるものに対し無言でそれを身につけるのにふさわしい態度を要求します。深淵における護符も所有者の心のあり様に影響する、という意味で魔法の源泉になっているのだと思われます。護符に縁故を振らなければいけないというのがこの考察の論拠です(注2)。

 さて、上記の様な考察に立った場合、魔法を使うPCを扱うにあたっての必要条件として、その「星座らしさ」が要求されるのが了解されると思います。そしてそれを表現するには何故そのような考え方を持つようになったのか?という過去の事件の設定が不可欠になると思います(個々の星座らしさについての考察は別項にていずれ扱いたいと思います)。
 実はルール的には魔導師について過去の事件というのは、魔導師学院という存在を規定する事により不問にされています。多分これはゲームに簡便さをもたらすという点では正解なのでしょう。(注3,4)。

 もしあなたが魔法を使うテンプレートを担当することになったら、過去に何があってこのキャラはこういう人格になったのかということを常に明確にするようにしてください。おそらくこの方法が最大の深淵における魔法を魅力的にする方法である、と思います。

(注1)朱鷺田祐介著、1999、プランニングハウス発行
(注2)なぜ魔法陣が魔法の源になるのか?という考察は読者に任せます
(注3)世界設定という側面から見た場合、学院は世界の有り様を限定する強力な「保険」として機能しています。
(注4)火龍面舞(朱鷺田祐介著・1998、プランニングハウス発行)においては主人公の魔導師の学院内の生活の様子が詳細に記述されています。これは学院の詳細が不明である現状では、魅力的な魔導師をプレイすることが不可能であることの傍証と言えます。私のサークルでは世界設定上魔法学院は存在しないという前提でプレイを行っています。